公開:2012/08/27 Mika Itoh │更新:2022/10/21

石井琢朗 引退へ、会見で「背負っていたものを降ろした」 広島カープ

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広島カープの石井琢朗選手が、今季をもって引退することを発表しました。引退会見をマツダスタジアムで行った 石井琢朗選手は、今季限りで24年間の選手生活に幕を閉じます。引退理由について石井琢朗選手は会見で以下のようにコメントしています。

広島カープの石井琢朗選手が、今季をもって引退することを発表しました。引退会見をマツダスタジアムで行った 石井琢朗選手は、今季限りで24年間の選手生活に幕を閉じます。

石井琢朗 引退へ、会見で「背負っていたものを降ろした」 広島カープ

私、石井琢朗は今シーズン限りで引退することを、この場をもちまして皆さまにご報告させて頂きます。24年間、カープでは4年間、皆さまには大変お世話になりました。ありがとうございました。

僕の中ではプレーヤーとしてはとっくに終わっていたと思います。今、こういう会見をしていることが1番悔しいです。記録のために現役にこだわるのはチームのためにならない。若い選手が結果を出している中で邪魔をしたくない。

一時的な感情で決めたわけじゃなく、自分の中では納得しています。いろんな思いがありますが、今背負っているものを全部降ろしたというか…。

個人としては一区切りついた半面、チームの中ではもう一度気持ちを引き締め直して、若い選手と泥にまみれたいと思います。

引退会見のコメントより一部抜粋

引退を球団に申し入れた 石井琢朗選手は昨年末より、野手コーチとして1軍に帯同しながら選手と兼任。コーチに就任した当時は、自身のブログで「優勝したらユニホームを脱ぐつもりでやっています。カープで感激を味わいたい」とコメントし、

2011年10月17日には右膝のクリーニング手術を受けた。選手として、優勝に向けて自身の体も調整し続けてきた石井選手でしたが、今季の選手としての出場は28試合となっており、2012年7月9日、不調により2軍に降格。

「(引退の理由は) いろんな思いはあるんですが、背負っていたものを全部降ろしたというか」と、石井選手はプロ野球選手としての人生に幕を閉じることを決意、想いを語りました。

石井琢朗 ヒストリー

石井琢朗 プロフィール
photo by アスリートマガジン 石井琢朗

本名は石井忠徳(いしいただのり)
1970年8月25日生まれの42歳。栃木県佐野市出身。身長174cm、体重78kg。

1988年、足利工業高等学校卒業後、横浜大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)に投手として入団。4年後、投手から野手に転向。1993年には三塁手としてベストナイン賞、盗塁王を獲得。1998年には主力選手として活躍しチームを優勝に導いた。

20年間、横浜ベイスターズ(元ホエールズ)の第一線で活躍したが、2008年に球団より戦力外通告を受ける。2009年から広島東洋カープに移籍し現在に至る。

プロ野球選手として通算2430本のヒットを打ち、2410試合に出場。ベストナインを5回、ゴールデングラブ賞を4回受賞、本塁打102本、盗塁358本、打点数670。出場数・安打数ともに、プロ野球歴代11位の記録となっています。

石井琢朗 ブログ「超琢朗主義」

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