カープを支えたあの「樽」は、今も東広島の酒蔵にあった!
広島の人の気持ちを一つにする たる募金。カープ存続の危機を救った「あの」樽募金の時に使われた樽が 東広島の福美人酒造に残っています。
広島の酒処、東広島市西条の酒蔵通りでカープの歴史を語る時に欠かせないあの「樽」と出会いました。
JR西条駅から1km圏内にある西条酒蔵通りには7つの酒蔵があり、多くの酒蔵が酒の試飲・販売も行っていて蔵の一部を開放。福美人酒造もそのうちの一つで赤レンガの煙突のたもとにある建物に一般の人も入る事ができます。
その部屋の中で出会ったのがこの大きな樽。カープが設立当初から資金難にあえぎ 球団存続の危機に瀕した時、市民らの募金を集めたのがこの福美人の樽だったといいます。
カープと酒樽の歴史
以下は現地で紹介された樽についての説明書き(一部抜粋)
昭和24年(1949年)、原爆被害からの復興の一端を担うべく、親会社のない市民球団として結成された「広島カープ」。
解散や合併話が現実味を帯び始めた2年目に広島市民が立ち上がり、「我が広島カープを救え!」と本拠地の入口に2つの酒樽を設置して たる募金を開始。
設立当初から資金難に陥り、選手への給料の支払いは遅れ、野球連盟への加盟金も払えない状況に。
球団存続に必要だった400万円を集め、危機脱出。この時に使われた酒樽が、福美人酒造の酒樽なのです。
カープの資金難を救う為に始まった樽募金ですが、広島での大きな事柄があった時には今でもよく登場するもの。
広島市で行われるえびす大祭(えべっさん)の時に神社の前に樽が置かれたり、新球場建設(現:マツダスタジアム)の際にもたる募金が実施され、およそ1億2000万円の寄付を集めました。
(えべっさんで神社前に置かれた樽)
また、2014年8月に起こった広島市の大規模土砂災害の後に開催された県内のイベント会場や奥田民生さんのライブ会場などで復興支援のための樽募金が実施された事も記憶に新しい。
広島の人の想いを一つにする時に酒樽(たる募金)はよく使われるように思います。そんな広島の文化のはじまりとなった酒樽の一つが福美人に保存され、自由に見学する事ができます。
正式には「もと桶(もと=酉へんに元)」と呼ばれる酒造りに使われるもの。大きくて年季が入ったそれは、レジの横に置かれお客さんの目をひいていました。
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