公開:2020/11/21 Mika Itoh │更新:2020/11/21

織田幹雄記念館、日本人初の金メダリストは広島県海田町出身!織田幹雄スクエア内にオープン

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日本人初のオリンピック金メダリストで「日本陸上界の父」と呼ばれる織田幹雄さんの功績を称えた「織田幹雄記念館」が出身地・広島県海田町にオープン。三段跳びの他、走り高跳び・走り幅跳びでも活躍

織田幹雄記念館が2020年4月1日、広島県安芸郡海田町にオープンしました。施設名になっている織田幹雄(おだみきお)さんは、日本人で初めてオリンピック金メダリストに輝いた人物(陸上選手)。

織田幹雄記念館、日本人初の金メダリストは広島県海田町出身!織田幹雄スクエア内にオープン

1928年(昭和3年)にオランダで開催されたアムステルダム五輪に23歳で出場し、陸上競技の三段跳びで日本人初の金メダリストに輝きました。

日本人初の金メダリスト、1928年(昭和3年)アムステルダム五輪の三段跳び・織田幹雄さん

広島県では、彼の栄誉を称えて創設された陸上大会「織田幹雄記念国際陸上競技大会(通称:織田記念)」が毎年春に行われており、現在までに第53回(2019年)開催されています。

広島県で陸上競技に関わったことのある人には、よく知られている人物です。(なお2020年の大会は新型コロナの感染拡大に伴い中止)

織田幹雄記スクエア、建物入口に三段跳びシルエット

織田幹雄さんは海田町出身ということで、織田幹雄さんの功績を称えた記念館『織田幹雄記念館』と、老朽化していた海田町の公民館を新築したものを融合させた複合施設として、織田幹雄スクエアが誕生しました。

織田幹雄スクエア、2020年3月 広島県海田町にオープン

織田幹雄スクエアの入口横ガラス窓には、織田幹雄さんの三段跳びの記録(距離)と跳躍シーンがシルエットで描かれています。その実際の跳躍を目の前で見たら、迫力ありそう!

織田幹雄スクエア、2020年3月 広島県海田町にオープン

織田幹雄記念館が入っているのは、織田幹雄スクエアの2F。記念館の見学は自由(無料)。そのまま階段をあがっていくと、その壁沿いにも織田幹雄さんの写真などが飾られていました。

織田幹雄記念館、入口には表彰台のフォトスポット

2Fに到着すると、階段やエレベーター正面に織田幹雄記念館があります。ちなみに、2020年4月1日に開館した織田幹雄スクエア(織田幹雄記念館)ですが、新型コロナウイルス感染防止のため、オープン後すぐに臨時休館となっていました。その後、5月下旬から再開しています。

織田幹雄記念館(広島県海田町、織田幹雄スクエア2F)

記念館の入口脇には、表彰台あり。ここには金メダル・銀メダル・銅メダルのサンプルが置いてあり、表彰台にのぼって記念撮影をすることも可能。

織田幹雄記念館は、記念撮影用の金メダル

織田幹雄記念館の中にはいると、記念館内部は陸上競技場を模った可愛い造りになっています。

織田幹雄記念館は、陸上競技場のトラックやフィールドを模ってある

ちなみに陸上競技は、この競技場のトラックを使う「トラック競技」と、トラック内側のフィールド(芝のグラウンド)を使う「フィールド競技」、マラソンなど競技場の外で行う「ロードレース」があります。

織田幹雄さんはオールマイティーな方だったようで、三段跳びの金メダリストであるほか、走幅跳でも世界大会に出場し、110mハードルや400mリレーの選手としても、国内大会で活躍していたようです。

織田幹雄記念館は、陸上競技場のトラックやフィールドを模ってある
走り高跳びの初記録や最高記録の高さに置かれたバー

中でも、織田幹雄さんが特に秀でていたのがフィールド競技の跳躍(三段跳・走幅跳など)でした。

オリンピック選手から新聞記者へ、織田幹雄さんの歴史が詰まった記念館

壁には織田幹雄さんが陸上競技を始めるキッカケから、金メダリストになるまで、そして引退後の活躍など、アスリートとしての偉大さはもちろん、その人間性にも触れられる展示になっています。

織田幹雄記念館、織田幹雄さんの軌跡

織田幹雄さんが陸上を始めるキッカケになったのは「褒められた」こと。

家庭の事情で中学進学を諦めかけていた彼をみて、当時から文武両道だった織田幹雄さんをよく知る担任の先生が心配し、先生の強い勧めで広島中(後の広島一中)に進学。

その中学の体操の時間に走高跳がうまく出来ず、放課後の居残り練習を命じられますが、一生懸命練習した結果、クラスで1番の記録を出して教官に褒められたことが自信に。

織田幹雄さんが陸上を始めたきっかけ

その後も、オリンピック代表選手から「君は練習すれば日本の代表になれるぞ!」という誉め言葉をうけ、本格的に陸上競技をスタートしたのだとか。

織田幹雄記念館には、1928年のアムステルダム五輪で三段跳びで獲得した賞状や金メダル(レプリカ)、

織田幹雄記念館、アムステルダム五輪 三段跳びの金メダル

19歳の時に出場したオリンピック・パリ大会で日本陸上史上初の入賞(6位)したときの賞状や当時の写真、世界記録を樹立したときに履いていたスパイクなど様々なものが展示されているほか、

織田幹雄記念館、アムステルダム五輪 三段跳びの金メダル

アスリートとして大活躍するまでの軌跡などが、壁いっぱいに紹介されています。

総監督や新聞記者・早稲田大学教授まで、多彩な才能をもつ織田幹雄

また、織田幹雄さんは指導者としても活躍。日本で東京オリンピックが開催された1964年には、陸上日本代表の総監督を務めています。

早稲田大学を卒業後は朝日新聞社に入社し、新聞記者になった織田幹雄さんは最終的に朝日新聞の運動部部長になり、その後は早稲田大学教授も務めています。

日本初のオリンピック・金メダリスト織田幹雄さん / 享年93歳
織田幹雄さん / 享年93歳

そんな織田幹雄さんは、「強い者は美しい」など色んな言葉も残していて、

織田幹雄記念館、織田さんの残した言葉「強い者は美しい」

織田幹雄さんの残した言葉が集められた小さな部屋も。また、映像で見られる部屋や、

織田幹雄記念館、織田さんの残した言葉「強い者は美しい」

メダルなどが飾られた本棚の小部屋などもあり、陸上にまつわる書籍や図鑑・絵本などが展示されています。

織田幹雄記念館、織田さんの本棚

足元にも、走り幅跳びの生涯記録

ちなみに、足元には織田幹雄さんの走り幅跳びの生涯最高記録(7m52cm)が直線で引かれているのですが、

織田幹雄記念館、走り幅跳びの記録

織田幹雄記念館、走り幅跳びの記録 7m52cm

この距離を人間が飛べるの‥‥? と、その超人ぶりを実感。

筆者も学生時代は陸上部に所属していたので、織田幹雄さんのお名前はもちろん知っていたのですが、こんなに多彩な方だったと初めて知りました。ちょっと感動。

為末大さん(世界陸上の400mハードル銅メダル)や、現役の選手には山縣亮太さん(リオデジャネイロ五輪の400mリレー銀メダル)など、広島県には世界で活躍する陸上競技のアスリートが続いていますが、

その先駆者となったのが織田幹雄さん。記念館は無料で見学できますので、是非訪れてみては。

織田幹雄記念館
住所 広島県安芸郡海田町中店8-24 織田幹雄スクエア 2F
時間 9時~17時
休館日 12月29日~1月3日
駐車場 無料あり
問合せ 082-822-7373
備考 広島県の見学施設いろいろ
周辺 安芸郡グルメ / 安芸郡スポット / 周辺おでかけマップ

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