公開:2015/07/07 伊藤 みさ │更新:2015/07/07

広島カープ 炎のストッパー津田恒美物語、舞台「バイバイ」が8月より

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演劇集団よろずやが2015年8月1日、元カープの津田恒美投手の誕生日に広島県民センターにて炎のストッパー津田恒美物語「バイバイ」という舞台を上演します。

広島県民センターにて2015年8月1日に、カープ球団公認の舞台 炎のストッパー津田恒美物語「バイバイ」が上演されます。

この舞台は関西で活動する「演劇集団 よろずや」の作品で、広島東洋カープで “炎のストッパー”として活躍した津田恒美投手と、彼の妻を描いたストーリー。

広島カープ 炎のストッパー津田恒美物語、舞台「バイバイ」が8月より
Photo 演劇集団よろずや

7月15日に東京公演がスタートし、津田恒美さんの誕生日である8月1日には広島県民センターで上演。よろずや の主宰者・寺田夢酔さんは、物心ついた頃からの熱狂的カープファンで、脚本・演出・主演を自ら務めるという思い入れの強い作品。

20年の構想を経て、高橋建さんの推薦から球団の公認、津田恒美さんの妻・晃代さんの許可も得て、2011年に初演を迎えました。今年で3回目の公演となる。

舞台「バイバイ」ストーリー・動画

津田恒美さん とは?

山口県出身。広島カープにドラフト1位で入団。1982年、1年目で新人王に輝いた。プロ5年目からは先発から抑え投手に転向。

1989年には最優秀救援投手などを受賞。闘志に溢れ、どんな相手にも真っ向勝負を挑むピッチングスタイルで「炎のストッパー」と呼ばれる存在に。

しかしその翌年、彼が30歳の春に右肩故障などで二軍落ち。一軍での登板はわずか4試合に終わった。再起をかけて臨んだ1991年の4月、朝に激しい頭痛に襲われるもこれをおして巨人戦に登板。
自らピンチを作り、ライバル原辰徳に同点タイムリーを打たれてわずか9球で降板。これが彼にとって最後の登板となった。

その後、判明したのは「悪性の脳腫瘍」だった。余命を宣告されるも、あの投球を最後にしたくない…と復帰する気持ちで治療・リハビリに専念。しかしそれも叶わず1993年7月、32歳の若さでこの世を去った。

津田恒美さんをモデルにした舞台「バイバイ」は、末期がんから軌跡の生還を果たした主宰者・寺田夢酔さんの実体験も織り交ぜた物語となっています。

炎のストッパー津田恒美物語「バイバイ」 ポスター

舞台「バイバイ」ストーリー

その闘志溢れるプレイスタイルから『炎のストッパー』と呼ばれた、広島東洋カープの津­田恒美投手。
ガンに侵され、引退そして闘病を余儀なくされた津田投手と、彼を支え続けた夫人が主人公­。末期ガンのため余命2か月を宣告されながら奇跡的に生還したという主宰者・寺田氏の実体験を織り交­ぜ、家族や仲間との魂の交流を描く。

▼以下は「バイバイ」2011年初演版ダイジェスト


舞台「バイバイ」
公演日 東京公演:2015年7月15日~17日/広島公演:8月1日13時から
場所 東京公演(座・高円寺2)/広島公演(広島県民センター)
料金 東京公演:当日一般4500円、学生2500円/広島公演:当日一般3500円、学生2000円、S席4000円(S席以外自由席)
チケット 演劇集団よろずやホームページより

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