はだしのゲン 作者、中沢啓治さん死去 73歳
はだしのゲン 作者、中沢啓治さんが肺がんで死去されました。広島出身の漫画家・中沢啓治さんが、2012年12月19日に入院していた広島市内の病院で死去されました。葬儀については中沢啓治さんご本人の意向により行わなかった。享年73歳。
広島出身の漫画家・中沢啓治さんが、2012年12月19日に広島市内で死去されました。肺がんで広島市内の病院に入院されていたそうで、葬儀については中沢啓治さんご本人の意向により行わなかったとのこと。享年73歳。
はだしのゲンは、中沢啓治さん自身の幼少期に起こった被爆体験が元となった作品で、はだしのゲン のストーリーにある通り、原爆投下によって父・姉・弟を失い、生後まもなかった妹も間もなく亡くされています。
中沢啓治さん自身は、友達の母親に呼び止められ、偶然建物の塀の陰に立っていたことから、原爆投下時の熱線を浴びずに助かった。これは、はだしのゲン にほぼそのままのエピソードとして描かれています。
中沢啓治 プロフィール
中沢啓治 (なかざわけいじ)
1939年3月14日生まれ、広島県広島市舟入本町 出身。父は日本画家だった。
1945年5月6日、当時 中沢啓治さんが6歳の時に被爆。通っていた小学校の塀の陰にいたことから命は奇跡的に助かるが、家族をすべて失う。
はだしのゲン が週刊少年ジャンプに1973年から連載スタート、単行本だけで650万部を超えるベストセラーとなった。出身地である広島県の平和記念資料館には、はだしのゲン全巻と原画を寄贈している。
自身の被爆体験と原爆の恐ろしさ、平和について、マンガや映画、講演など様々な形を通して伝え続けてきました。
2001年に入り、糖尿病による網膜症(左目)と、白内障(右目)を患い視力が低下。後に手術を受けるが回復せず、2009年に漫画家を引退。2012年12月19日、肺がんのため広島市内の病院で死去した。
中沢啓治さんのご冥福を、心よりお祈り致します。
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