公開:2020/07/16 Mika Itoh │更新:2020/07/16

標的になった広島のT字橋「相生橋」昔といま

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広島の原爆投下時の目標地点になっていた相生橋(広島市中区)。初代の相生橋は、現在の場所より少し南に架けられており、いまもその場所には親柱が残され「旧相生橋碑」がたてられています

平和を伝え続ける場所として、広島の観光スポットになっている広島平和記念公園

被爆前からあったもので今も平和公園内に残っている建物等では、原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)やレストハウス(旧大正屋呉服店)が有名ですが、

標的になった広島のT字橋「相生橋」昔といま
初代の相生橋・親柱

初代の相生橋の親柱(おやばしら)も、平和公園内に残されているのをご存じですか?

現在の相生橋・親柱(広島市中区)
現在の相生橋・親柱

親柱は、橋の両端にたっている太い柱のこと。橋の名前や、橋がつくられた日付などがよく刻まれている、あの柱です。

原爆の投下目標にされていた、相生橋

相生橋が、1945年8月6日の原子爆弾の投下目標にされていたことは、有名な話。この橋が選ばれた理由は、上空から広島の街を見た時、この橋が全国的にも珍しい「T字型」の橋だったため、

原子爆弾の投下目標になった相生橋

エノラ・ゲイ号(B-29)が上空から確認しやすかった為と言われています。


初代の相生橋(親柱)

初代の相生橋は、1878年に架橋。
現在の相生橋の位置より少し南側に架けられていました。

初代の相生橋(親柱)

現在、平和公園には初代の相生橋にあった親柱だけが残され、その隣に「旧相生橋碑」がたてられています。

初代の相生橋(親柱)と旧相生橋碑
大きな石碑が「旧相生橋碑」その右に小さく「初代の親柱」

平和記念資料館のホームページによると、初代の相生橋のあった場所は、この親柱が残っている位置から、慈仙寺の鼻(慈仙寺というお寺のあった、現在の平和公園の北端)にかかっていました。

初代の相生橋は、親柱の残る場所から慈仙寺の鼻に架けられていた

相生橋はその後、1932(昭和7年)に現在の位置に架け替えられます。その2年後の1934年に、橋の中央部分から “慈仙寺の鼻” へと橋げたをのばして、T字型の橋になりました。

それから約10年後、相生橋は原爆投下時の標的にされますが、実際には相生橋から約300m離れた場所が爆心地となっています。

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