公開:2012/12/25 Mika Itoh │更新:2021/09/16
はだしのゲン 作者、中沢啓治さん死去 73歳
- タイトルとURLをコピー
- 広島県出身の有名人
はだしのゲン 作者、中沢啓治さんが肺がんで死去されました。広島出身の漫画家・中沢啓治さんが、2012年12月19日に入院していた広島市内の病院で死去されました。葬儀については中沢啓治さんご本人の意向により行わなかった。享年73歳。
広島出身の漫画家・中沢啓治さんが、2012年12月19日に広島市内で死去されました。肺がんで広島市内の病院に入院されていたそうで、葬儀については中沢啓治さんご本人の意向により行わなかったとのこと。享年73歳。
はだしのゲンは、中沢啓治さん自身の幼少期に起こった被爆体験が元となった作品で、はだしのゲン のストーリーにある通り、原爆投下によって父・姉・弟を失い、生後まもなかった妹も間もなく亡くされています。
中沢啓治さん自身は、友達の母親に呼び止められ、偶然建物の塀の陰に立っていたことから、原爆投下時の熱線を浴びずに助かった。これは、はだしのゲン にほぼそのままのエピソードとして描かれています。
中沢啓治 プロフィール
中沢啓治 (なかざわけいじ)
1939年3月14日生まれ、広島県広島市舟入本町 出身。父は日本画家だった。
1945年5月6日、当時 中沢啓治さんが6歳の時に被爆。通っていた小学校の塀の陰にいたことから命は奇跡的に助かるが、家族をすべて失う。
はだしのゲン が週刊少年ジャンプに1973年から連載スタート、単行本だけで650万部を超えるベストセラーとなった。出身地である広島県の平和記念資料館には、はだしのゲン全巻と原画を寄贈している。
自身の被爆体験と原爆の恐ろしさ、平和について、マンガや映画、講演など様々な形を通して伝え続けてきました。
2001年に入り、糖尿病による網膜症(左目)と、白内障(右目)を患い視力が低下。後に手術を受けるが回復せず、2009年に漫画家を引退。2012年12月19日、肺がんのため広島市内の病院で死去した。
中沢啓治さんのご冥福を、心よりお祈り致します。
- 当サイトの掲載内容は、公開時点または取材時点の情報です。最新記事・過去記事に限らず公開日以降に内容が変更されている場合がありますので、ご利用前に公式の最新情報を必ずご確認下さい。
- 記事の内容については注意を払っておりますが、万一トラブルや損害が生じても責任は負いかねます。ご自身の判断のもとご利用ください。
- 当サイトではアフィリエイトプログラムを使用しています。
あわせて読みたい
- 奥田民生と歩んだ30年を写真展で、そごう広島で先行開催
- 有吉弘行の広島里帰りを全国放送、アンガールズ・マスパンとともに
- 綾瀬はるか「広島の雑煮は旨味の宝石箱!」ドコモ未来技術【フィールテック】CMスタート
- 吉川晃司が広島・府中町に凱旋!「西村キャンプ場」新春特番に出演
- 奥田民生がサッポロ黒ラベルCM「大人エレベーター」11年ぶり出演、球場のど真ん中で
- アンガールズ田中卓志「最高の食事」がベスト・エッセイ2022に選出