広島城を知れば「広島」がワカル!カープとの関わりも
今の「広島」をつくるキッカケとなった広島城。どんな歴史があるのか探りました。広島カープとの深いかかわりも見えてきます。
広島城は、広島市中心部にある街のシンボル。毛利元就の孫・毛利輝元がここに城を据えたことで、この周りに城下町がつくられ、その賑わいは今に続いています。
八丁堀/薬研堀/幟町/鉄砲町/紙屋町/袋町…という地名は、城下町としてにぎわった頃の町名が残ったもの。
写真は広島城ブルーライトアップ時の様子
そんな、「広島」をつくるキッカケとなった広島城の歴史を、以下に簡単にまとめました。
移り変わる「広島城」の役目
毛利輝元によって広島城が築城されたのは、戦国時代末期。
復元された現在の広島城の様子
輝元の祖父・元就は「知将」として知られる戦国武将。戦の多い戦国時代に作られたお城は、山の地形を利用して守りを固めた「山城」が主流でした。
元就は郡山城(安芸高田市吉田町)を本拠地に構えていましたが、戦が減り、世の中が安定してくる頃になると「城」の在り方にも変化が。輝元は大阪城・聚楽第(じゅらくてい、京都府)を訪れ、その造りや町の繁栄を手本に城を移すことに。
この地方一帯の政治・経済の中心地として機能するためのお城と城下町を建設しようと選んだのが、広島湾に近いこの場所だったと言われています。
時を経て明治27年に日清戦争が始まると、広島城内に大本営(日本軍の最高統帥機関)が移り広島が臨時首都となったことも。
昭和6年には天守閣が国宝に指定されましたが、昭和20年8月6日の原子爆弾投下によってすべて焼失しました。
現在の広島城の天守閣は昭和33年に「広島復興大博覧会」の一環として外観を復元。現在は歴史博物館として使用されています。
現在の広島城
天守閣展望室からは広島の街を見渡せる
その姿を取り戻した広島城は、歴史博物館として広島城の構造や毛利輝元による広島築城・広島藩の成立から幕末に至るまでの政治の流れなどが、資料や模型などで展示されています。
展示物の撮影は不可ですが、人気の「体験コーナー」は写真OK。
よろい・かぶと・陣羽織などが置かれており、自由に着用することも可能です。背景も用意されているので、いにしえの侍や女性の姿になりきって記念撮影もできます。
このほか、企画展やお土産が買えるミュージアムショップもあり。
カープのチーム名の由来と、広島城
広島城は別名「鯉城(りじょう)」と呼ばれていました。鯉城の由来は広島が鯉の産地であったこと、お堀に鯉がたくさん泳いでいたこと、西区己斐町の旧名が鯉であったことなど諸説あります。
広島城シルエットが忍ばされている鯉のロゴマーク
そういった広島と「鯉」の歴史もあって、広島を本拠地とするプロ野球チームの名には鯉を意味する「CARP(カープ)」が使用されたと言われています。
広島護国神社はおみくじもカープ(鯉)!
またカープはシーズン前になると、球団関係者や選手らが広島城のたもとにある護国神社を訪れて必勝祈願をすることも、毎年恒例の行事となっています。
今も栄える街をつくるキッカケとなった鯉城、そして広島市民をはじめとするファンを熱狂させるカープ。広島と鯉は深く結びついているのですね。
広島城 | |
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住所 | 広島県広島市中区基町21-1 |
入館料 | 大人370円、高校生・シニア180円、中学生以下は無料 |
開館時間 | 9時~18時(最終入館17時30分)※12月1日~2月29日は17時閉館 |
休館日 | 12月29~31日(このほか臨時休館日がある事も。詳しくは広島城までお問い合わせください) |
問合せ | 082-221-7512 |
参考 | 広島県の神社仏閣 / 周辺おでかけマップ |
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