広島平和記念公園(平和公園)
広島平和記念公園は、広島の平和の象徴的なスポット。昭和20年8月6日に原爆を投下された広島で亡くなった原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して建設されました。
広島平和記念公園(広島県広島市中区)が造られたこの場所は、かつて広島で一番の繁華街(旧中島地区)があった場所。
昭和20年8月6日、広島の街に人類史上初めて原子爆弾が投下され、街は一瞬のうちに破壊された。広島平和記念公園は、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して建設された都市公園です。
広島平和記念資料館
爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備する為、昭和25年から5年の歳月を費やし建設されました。
広島平和記念公園内には、原爆ドームや広島平和記念資料館(原爆資料館)、レストハウスなどの施設のほか、平和の願いを込めて設置された数々のモニュメント等が(66ヶ所)あります。
以下では、公園内にある施設やモニュメントの一部を、ご紹介します。
祈りの泉(噴水)
原爆により全身を焼かれ、水を求めて亡くなっていった犠牲者の霊を慰める為に建設された。当時は、西日本一の豪華な噴水と言われていた。夜間には色彩照明が行われています。
嵐の中の母子像
右手で乳飲み子を、左手は幼児をかばいながら、苦しみに耐え生き抜こうとする母親の姿を表したもの。原水爆禁止日本協議会が広島市に贈った原型を、広島市婦人会連合会がブロンズ像にするための募金活動を行い建立された。
平和記念資料館(本館・東館)
写真右奥が平和記念資料館の「東館」で、正面の横長の建物が「本館」。被爆者の遺品や、被爆の惨状を示す写真や資料を展示すると共に、広島の被爆前後の歩み・核時代の状況などについて紹介されています。
平和記念ポスト
1952年、第4回郵便友の会全国大会が広島市で開催された際に、平和記念都市を象徴するブロンズ像と共に設置された、石造りの珍しいポスト。
平和の塔
平和の塔は、広島市などが世界連邦都市宣言したことを記念して建立。世界連邦のシンボルマークをデザインし、5つの面は5大州を表している。
マルセル・ジュノー博士記念碑
被爆者救護に尽力した博士の功績を称え建立されたもの。赤十字国際委員会の駐日主席代表として来日していたスイスの医学者のマルセル・ジュノー博士は、原爆被害の惨状を知り、連合国最高司令官総司令部へ救援を要請。被爆者を救護するための医薬品を調達するなど、自らも治療に携わりました。
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑
空襲を避けようと、都市部の3年生以上の児童たちは田舎へ強制的に疎開させられていたが、親元に残された幼い1~2年生と建物疎開作業(空襲による火災の延焼を防ぐため建物を取壊すこと)に従事させられた高等科の生徒が、原爆の犠牲になりました。
毎年8月4日に遺族や教育関係者などが参加し慰霊祭が行われています。碑は、被爆した女性教師が子供を抱き、絶望の中空を見上げている銅像で、台座には江田島出身の歌人で平和運動家・正田篠枝さんの短歌が刻まれています。
原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)
原爆慰霊碑と平和の灯
世界初の原子爆弾によって 壊滅された広島市を、平和都市として再建することを念願して建立。内部には石室があり、被爆し亡くなられた方の名前を記帳した原爆死没者名簿が納められています。
旧天神町北組慰霊碑
かつて中島地区の一角にあった、天神町。天神町は南北に細長かったことから、北組・南組に分かれており、碑は北組跡地にたてられたもの。爆心地からわずか500mという至近距離で、旧天神町北組にあった家屋や商店街も一瞬にして全焼しました。
平和祈念像
像は、広島県出身の彫刻家で文化功労者・文化勲章受章者の円鍔勝三(えんつば かつぞう)氏が寄贈したもの。原爆死没者慰霊碑を見守る位置に設置されたこの像は、三日月の上に立つ母親に抱かれた子どもが、平和のラッパを吹いている。
祈りの像
終戦15周年(昭和35年)に、第二次世界大戦をはじめ国に殉じた犠牲者の慰霊と、平和への祈りを込めて建てられた記念碑。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、国として原子爆弾死没者を心から追悼・銘記すると共に、その惨禍を語り継ぎ広く内外へ伝える施設(2002年8月開館)で、広島市と長崎市に設置されています。(詳細へ)
平和記念公園レストハウス
平和記念公園レストハウスは、平和公園内に残る被爆建物。もともとは呉服店として誕生した建物だった。1階と2階は観光案内所や売店・休憩所・カフェなどレストハウスとしての役割を持ち、3階は展示フロア、地下は被爆当時の状態に近い形で保存されており見学可能となっています。(詳細へ)
原爆の子の像
「鶴を千羽折れば病気が治る」と祈り鶴を折り続け、願いかなわず亡くなった佐々木禎子さんをはじめ、原爆で亡くなった多くの子どもたちへの慰霊と平和への願いを込めて、建設された。建設費用は全国の学校からの募金と、イギリスなど9か国から支援された。
平和の石塚
広島青年会議所がイギリスの青年に贈った「ヒロシマの悲劇を世界平和のいしずえに」という銘板の返礼として、イングランドのタットレー市、スコットランドのフォート・ウィリアム市の両市から寄贈。石造りの銘板には平和への願いが刻まれている。
平和の時計塔
世界人類を象徴した直径2mの球体が、平和都市ヒロシマの市民の深い祈りの手と、苦難を超え無限に伸びていく平和への希望を表した 高さ20mの鉄塔3本に支えられている。毎日、8時15分に チャイムが鳴っています。
平和の鐘
核兵器と戦争のない平和共存の世界を目指し、浄財を募って建立された。鐘の表面には、国境のない世界地図が浮き彫りにされ「世界は一つ」を意味しており、池には大賀ハスが植えられています。
原爆供養塔
氏名不詳や一家全滅などで引き取り手のない遺骨を供養するため、桃山時代の御陵を模してつくられた供養塔(直径16m、高さ3.5m)。円形の土盛りの頂点に石造の相輪の塔が据えられ、内部には数万柱の遺骨が納めてあります。毎年8月6日には、この供養塔の前で慰霊祭が行われている。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑
強制労働等により広島で被爆した朝鮮の人々への慰霊と、再び原爆の惨事を繰り返さないことを願い建立。碑は、亀の形をした台座の上に碑柱、その上に双竜を刻んだ冠がのせられている。これは「死者の霊は亀の背に乗って昇天する」という故事に由来している。元々は、本川橋西詰めにありましたが、1999(平成11)年7月に平和記念公園内へ移設されました。
平和乃観音像
かつて繁華街であった町(中島本町)に対する惜別の情と、犠牲者への慰霊の意を込めて、平和乃観音像が建立されました。観音像の横には、かつての町の復元地図が設置されています。
原爆ドーム
原爆ドームは、平和公園内に残る被爆建物。被爆前は「広島県産業奨励館」で、物産品の展示販売や博物館や美術館としても使われていた。1996年にはユネスコの世界文化遺産に登録されている。(詳細へ)
旧相生橋碑(初代 相生橋の親柱)
相生橋は、B-29が原爆投下時に投下目標としていたT字形の橋だが、平和公園に残る旧相生橋碑とその横に残っている親柱は、T字型の橋になる前の初代の相生橋のもの。
(旧相生橋碑・親柱の詳細)
鈴木三重吉文学碑(赤い鳥文学碑)
広島市出身の小説家で児童文学者であり、児童文学の父と呼ばれる鈴木三重吉(すずきみえきち)の文学碑。ヒロシマの文化の復興のシンボルとして建てられた。台座には雑誌「赤い鳥」の表紙の文字が刻まれています。
このほか、平和公園の至る所にベンチが置かれ、花も植えられており緑が豊か。平和公園は、市民の憩いのスペースにもなっています。
また、園内にはたくさん桜の木が植えられており、春には桜のピンクに包まれる風景が美しい場所(お花見スポット)となり、市民に愛されています。
海外からの観光客も多く「外国人に人気の日本の観光スポットランキング」では毎年、ベスト5にランクインする。
なお、広島平和記念公園はこの周辺エリアの「指定緊急避難場所」にもなっています。
平和記念公園の施設概要
住所 | 広島市中区中島町1及び大手町1-10 |
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駐車場 | なし(周辺に有料パーキングあり) |
電話番号 | 082-245-0573 公園管理事務所 |
休園日 | なし(公園内の各施設については、それぞれ営業時間や休館日を要確認) |
備考 | 平和記念資料館前には、レンタサイクル「ぴーすくる」のサイクルポートあり |
周辺 | 周辺おでかけマップ/周辺グルメ/周辺スポット |
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